「好きなことで、生きていく」 そのフレーズ自体は何年も前から耳に、目にしていた気もしますが、最近になって YouTube の広告がよく目に止まるようになりました。
以前から見かけていたけれど、それほど意識したこともなければ、そのフレーズに対して何かを思うこともありませんでした。
でも、いつからだろう。
「好きなことで、生きていく」という言葉が言える環境やその勇気と行動力が、どれほどの賞賛に値するのだろうと感じるようになりました。
「好きなこと」ってまずなんだろう?
そしてその好きなことで生きていけるほど緻密に計画された将来設計と、リスクに勝算を上乗せして不安要素を取り除き、実際に行動を起こせるその勇気。
この言葉に対して賛否両論が存在することは、ネットを見れば明らかで「好きなことで生きれるわけがない」「考えが甘い」痛烈な批判はやはりその多くを占めていました。でもまだ幼い頃に「〇〇になりたい」と純粋に願って、両親に「何にでもなれるよ」と言われ育った幼少期は本当に幸せだったと感じるのです。生活の心配もなく、純粋に自分の10年後に希望しかなかったんですよね。
夢が何度変わっても「協力するよ、応援するよ。何にでもなれるよ。」と笑ってくれた大人が、今の子供達の周りには一体どれだけいるんだろう。いい大人が子供に対し面と向かって、その夢を壊すような発言はしないだろうと信じてはいるけれど、今はネットがある。知らぬ間に、子供たちが傷ついているようなことがあれば、それはとても悲しいことです。
「夢」や「好きなこと」を持つことに対して躊躇させていたり、笑われる環境を作っているのは「お手本」を見せてしまった大人の責任ですよね。でも反対に「夢がない、なりたいものがない」と、自分に焦りを感じてしまう時期があります。だけどこれって、意外に思春期を迎えた中高生に見られる傾向があると思いませんか? 多感なゆえに周りと比較して、夢や目標のない自分が他人に劣って見えて仕方がないのです。
誰かの生き方に、猛烈に批判をしてみたくなる。いい大人が失敗も恐れず挑戦している姿を見て「考えが甘いんだ、絶対に失敗する、後悔する。」そんな言葉を親切心で言ってやりたくなるのは、誰もが通ってきた思春期の「焦り」のそれによく似ている気がします。好きなことで生きていかれたら、好きでもないことをして必死に生きている自分はあんまりに惨めじゃないか。そう感じてしまうのかもしれません。

「好きなことで、生きていきたい」
いい大人の私は、子供の頃のように純粋な思いをもう一度持ってみたくなりました。
うまくいかないことの方が多い世の中で、思い描いた通りの人生設計を歩めていなくても、これからまた挑戦し続けたい。
「嫌いなこと」を避けてばかりでは成長できないという正論は、誰に言われなくても多分自分自身が痛いほどよくわかっていて、それでも自分なりの効率化とメンタルバランスを取って、「好きなことに付随する嫌いなこと」しかしないことにしてるんだ。というのが私のマインドなのです。
一番大切なのは、自分自身だから。
自分を最後に守ってあげられるのも、結局は自分自身だから。
「好きなことで、生きていく」の言葉の感じ方は、人それぞれです。煩わしく思うあなたも、笑っちゃうあなたも、同じ思いを持つあなたも、他人との違いに怖くなるのを誰かの支えで、最後には自分自身で、乗り越えてゆけますように。